「希望の学校」代表
駿渓(スルタニ)・トロペカイ
【プロフィール】
1951年カブール生まれ。カブール大学卒業後、カブール市内短期大学で英語教師に。1983年筑波大学大学院英語教育研究科卒業。2000年日本に帰化。現在、英語、ダリー語、パシュトー語の通訳として活躍。筑波大学教育開発国際協力研究センター学外研究員。お茶ノ水女子大学開発途上国女子教育協力センター客員助教授。


1977年、私は夫の留学のために来日しました。その2年後ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したため、その後の10年間、アフガニスタンでは戦争状態が続きました。1989年にソ連軍が撤退した後、民族間の勢力争いが激化し、やがてタリバン対北部同盟の戦いへと形を変えていきました。こうして23年間の内戦のために、多くの人々が殺され、緑豊かな美しいアフガニスタンは墓場と化していきました。日本に住んでいた私は、母国の事を考えると心臓をえぐりとられるような思いでした。
23年間戦火の絶えなかったアフガニスタンの状況を変えたのは、皮肉なことに2001年に起きたアメリカでの同時多発テロでした。この年の10月にアフガニスタンはアメリカによる激しい空爆にさらされ、多くの国民が犠牲になりました。しかし一方でタリバン政権が崩壊し、平和への兆しが見えてきたのです。
「今こそ何かしなくては!」―そんな思いが私を駆り立てました。成人女性の識字率がわずか5%といわれていた状況の中で、国の再建は女性の肩にかかっていると考えた私は、先ず女性を教育する学校を創る事を考えました。そして、その実現のために「希望の学校」というグループを設立しました。
2002年8月私は25年振りにアフガニスタンの土を踏みました。そこには想像を絶する光景が広がっていました。建物はほとんど破壊され、わずかに残っているものも銃弾で穴だらけ、昔の面影はどこにもありませんでした。多くの思想家、教師、医者、作家、政治家が殺され、家族を皆殺しにされた子供も多く、女性たちは人々の前で屈辱を受けました。そんな地獄を体験したアフガニスタンでは、国も人も精神的に病んでいました。成人男性の人口が戦争で極端に減少し、仕事に就く能力のない多くの戦争未亡人が残されたのです。
「希望の学校」は、このような女性たちの自立を助けるため、識字教育と職業訓練を行う学校の建設することを目指して結成されました。地球は一つであり、世界の人々はつながっています。互いに協力し希望を持って一歩ずつ進めば、世界の平和を実現できると私たちは信じています。
そのためには、何よりも皆さんのご協力とご支援が必要です。